四の章  北颪
きたおろし (お侍 extra)
 



    外伝  昔がたり



        




 長い長い大戦の戦況は相変わらずで。激化している方面もあれば、敵が見切ったか随分と長く穏やかな日々が続く戦域もあり。空挺部隊は原則的には定まった指揮系統の中に固定されており、どこそこ艦隊の、若しくはどこそこ部隊の一角をなすという存在であるものの。あまりに消耗が激しい部隊への異動や一時的な補佐、つまりは助っ人としての突発的な出陣の下知もまた、珍しいことではない。勇名知られた島田隊へも、いつぞやのような無理難題、艱難辛苦を与えたくての嫌がらせではない参戦要請もまた、当然のことながら多々あって。着いたばかりの空域で、ぶっつけで指示される作戦や采配も違和感ないまま飲み込むと。蓬髪たなびかせる指揮官殿から手際のいい指示が飛んでの編成を決め、先陣切って飛んでいったかと思いきや、あっと言う間に戦端開いて、見事なまでに突破口をこじ開けてしまい。さあさどうぞと本陣を導くまでの手並みの鮮やかさは、もはや伝説の域でもあって。
【こいつぁ独立部隊でやってけますね。】
 通信越しの征樹の言いようは冗談口に決まっているが、それでも。少数精鋭、どの隊士も選りすぐりの練達揃いの島田隊。どこの部隊のどんな戦域ででも疾風怒涛の働きを見せる一団に、相手の南軍でまでその名が恐れられるようになっており。

 『援軍求むっ!
  北軍
(キタ)の白夜叉が出て来たんだぞっ!
  この頭数で奴らと対して まともに戦線が保てると思うてかっ!』

 そんな通信がこちらの受信機にまで洩れ聞こえることもあったほど。姿を見ただけで命がないとでもするものか、まるで鬼か魔物のような言われようをしている当の勘兵衛様はと言えば。先程まで立っていた修羅場、敵の駆逐艦の爆破撃沈という重々しい気配を背中に感じつつ、
「…。」
 恒星の最期もかくやというよな爆発の、大きな橙の炎の余光に自分と同様照らされた、傍らの風防の中の相方を、ちらりと見やってしまわれる。味方の本隊が突撃せんと構えた空路の一角、布陣の薄いに目をつけて取りついた艦の甲板にて。わらわらっと出て来た敵兵との白兵戦と運んだ彼らだったのだが。そんな戦況のただ中で、

 『…っ、七郎次っ。』

 自分たちは命知らずだが、相手へは潰走させるよう戦意を喪失させるのが最も上首尾と構える彼らにあって。その信条を判っていながらも時に暴走しかかる彼だと気づいた。激しい斬り結びの最中、勘兵衛へと刃を向けた兵を執拗にも見逃さず、せめて一太刀浴びせねば気が済まぬとばかり、逃げ出すものまで深追いしかかる悪い癖がつきつつあって。名を呼べば我に返ってか、傍らまで急ぎ戻って来はするものの、
『熱くなるな、よいか? 作戦行動を逸脱するでない。』
『…はい。』
 勘兵衛を相手に、渋々と承知の頷首をしつつも、気持ちの滾
(たぎ)りはそうそう収まらぬか、瞳の色合いが違っている。周囲に吹き上がる炎柱のせいだけではなかろう淀んだ熱が、本来の澄んだ青を挑発的な凝(こご)りに濁らせているようにも見えたのが、何とも気になってしようがない。

 “変われば変わるものよの。”

 そういう至らなさは、だが むしろ。制御が利かない青いところがまだあった彼なのかと感じさせられてしまうところに過ぎず。風防ガラス越し、前方を見据える凛々しい横顔は、その白さがコクピットを埋める装備のくすんだ濃い色に映えてのきりりと冴えて、随分と強かになったことを偲ばせる。そもそもは雷電や紅蜘蛛のための武装の剣で、それがためにやたらと細長く、これでなかなか操るのが難しい“斬艦刀”という特殊な飛行艇。ただ飛ばすだけでも難儀なそれを、峰へ相方の侍を乗せ、それは鮮やかに且つ 意のままに飛ばすことが出来るまでになり。文字通り足場がないも同然の空の高みでの戦闘にも怖じけず、飛行加速のためのとんでもない突風が吹きつける飛行中の戦艦の甲板であれ、槍を自在に操って敵を掃討する折の、舞うような体さばきの、強壮にして華麗なこと、もはや隊士らの中でも上位に相当するほどでもあって。ほんの短期間によくもここまで育ったものだと、そこへは直截に感心する勘兵衛だったが。

 「?」

 こちらからの視線に気づいたか、それとも…戦域を離脱したことで操縦に余裕が出来てのこと、我慢を解いてのやっと、こちらにおわす御主をわざわざ見やって来たものか。少しだけこちらを向いたお顔が、だが、勘兵衛と目があっても、どぎまぎとはせずのにっこりと嫋やかに微笑って見せたのもまた。彼が強かになって得た、余裕のうちの一つではなかろうか。ただの口づけだけで膝が砕けていたものが、もののひと月で随分と落ち着いて。昼間はこうして、素知らぬ振りが難なく通せるその陰で…そおと厭味のない媚態を届けて来れるまでの至りよう。涼しくも凛とした目許は、勘兵衛へと微笑うときのみ甘く細められ。何につけ覚束ぬところが まだまだ少年のようでさえあった幼さの名残りは、嫋やかな美しさへとゆっくり変貌しつつある。怒らせればそれらが一転、鋭く尖る冷ややかさもまた、彼のそれだと思えばただただ麗しく。先々で人を惑わすかもと危ぶんだ、故意ではない隙のようなものの気配も、誰か一人を見つめることで芯が定まったのと引き換えに、随分と薄れて正されたようではあるものの、

 “ああまで我を忘れられてはの。”

 憧れからか、それとも…颯爽としているその陰で、案外と粗忽なところも持ち合わす勘兵衛だということを見かねてか。恐らくはその半々で慕ってくれてのついて回っていた様子が、こちらへもほのぼのと心地がよかったものが。

 『きさまっ、よくもっ!』

 今や、下手を打てば諸共に堕ちても構わぬとまでの勢いで、勘兵衛を害すものを徹底して許さぬ激しさが表出するほどなのは、ともすれば計算外の事態。天女もかくやという嫋やかさをかなぐり捨て、悪鬼の如くにまなじり吊り上げて、もはや戦意なぞ微塵もない敵兵へのめった打ちをやめなかった七郎次の様には、勘兵衛でさえ息を呑んでギョッとしたほどであり。
“………。”
 人というものは、その人性を知れば知るほど、まこと思う通りには運ばぬことの多かりし、意外性を孕む存在と化すものだとつくづく思い知らされる。
“こちらが引き摺られてのことでもあるのだろうが。”
 あまりの愛おしさについ目が眩んでのこと、歯止めが利かなかったは我も同じかも知れぬ…と。それもまたこの青年をこうした素因と噛みしめ、歯痒いことよと感じるたび、否が応にも思い起こされる とある会話が勘兵衛にはあって。


 『いっそその者、囮の贄としてちらつかせてはどうじゃな?』
 『これは、御大とも思えぬお言いようですな。
  何となれば喰いつかせる運びとなってもこの際は致し方なしということですか?』
 『では、いかが致す。
  今更どこぞかへ隔離も出来まい、そんなことをすれば警戒されるがオチぞ。
  かといってお主が四六時中、張りついてもおれまいに。』
 『本人へ仔細を明かしてはいかがですか?
  あれで利発で機転も利く、聡明な青年なようですし。』
 『忘れたか、学舎で大暴れをしおった短気者ぞ。
  儂やお主と違い、先のうんとある者、
  その履歴へ却って傷が残る結果となってはそれこそ気の毒であろうが。』
 『…ですが。』
 『そこまで大事と言うなら、そうさの。
  いっそお主が押し倒し、そのまま供連れに娶ってはどうじゃ?』

   ……… は?


 それでは本末転倒ではございませぬかと、大将閣下のお言いようを一笑に伏したへの、何かしら罰でも降って来たものだろか。こういう種の脅威も転がっている環境なのだぞと、あまりに無垢なところへと知らしめてやりたかったまでだったものが。思わぬ方へ転んでしまったは、どういうサジ加減の誤りなやら。人への関心、長きにわたって断って来た身であったが故の失点と、ほろ苦いものを覚えつつ、

 “いっそこのまま何事も起きねば、それが一番ではあるのだが…。”

 彼の持つ柔軟で豊かな感性と、人から好かれる懐っこい気質は、人として何にも替え難い宝であり。若さからか真っ直ぐすぎて、清い心が撓
(しな)った結果の苛烈さを、ただ唯一の難としていたものが、様々に辛抱を積むことで身の裡(うち)への尋ともいうものか、懐ろの深さを鍛えつつもあっての頼もしく。そのような成長ぶりを見ていることがこちらへの支えにもなればこそ、失速せぬかが不安でならぬ。久方ぶりに誰ぞへと固執を持った自分であることにも気づかぬまま。危なっかしい部下を案じてのこと、風にたなびく蓬髪の陰で、仄かな懊悩に眉を寄せてしまわれる、部隊長殿だったりするのであった。






  ◇  ◇  ◇



 季節は移って、木々の梢に揺れていた新緑が、今やすっかりと落ち着いた濃さを定め始めた夏の初め。まだまだ短いそれを束ねての、うなじに垂らした金色のお尻尾、濃緑の上着の後ろ襟にひょこひょこと揺らしつつ。冬がずんと長かった郷里とは違い、春夏秋冬、四季が偏りなく巡る土地なればこそ、次に来たるは猛暑の夏かと、その予兆のような陽射しを窓の向こうに目映く見上げながら、先を急いでいたところへと、

 「おい、そこの。」

 不意に声をかけられたは、日頃はあまり通らぬ回廊の一角。急な査問会とやらが開かれて、そこへと呼ばれた勘兵衛が、どうしても要りような書類だからと言って寄越した使者に付き従っての取り急ぎの道行き途中のことであり。ややもすれば喧嘩腰、後にしてくれと言わんばかりの険のあるお顔でそちらを見やった彼へ、

 「ほほぉ。明るいところで見れば、ますますのこと端正な顔をしておるの。」

 場違いにも程がある、名乗りもしないでのそんな物言いへ、ますますむっかり来たものの。こんなまで外れた区画であるのに、これだけの頭数が降ってわいたことへと、おや?と不審を覚えるだけの、感覚はまだ冴えていた七郎次でもあって。
“このお人は…。”
 確か…本名はあいにくと思い出せなかったが、左京の君とか呼ばれておいでの准将ではなかったか。出自が高貴な華族の血筋、それがために随分と階級は高いが、実戦の経験は皆無に等しく。どんな戦況にあろうとも、いつも部隊ごと留守居を専任しておいで。自分の意のままな取り巻きの士官らを何人も常に率いておられるその上、ご自身も結構な巨漢なものだから。どこにおわしてもすぐ分かるところが、前線にまかりこされては少々迷惑だからじゃないかと、どこかの部隊の面々から揶揄されていたのを聞いたことはあったけれど。ここまで間近にお顔を見るのは初めての相手。いないところで笑われていたとて、その階級差は軍においてはある意味“絶対”で。部隊長の副官という肩書ではあれ、階級はまだまだ最下級と変わらぬ七郎次にしてみれば、こちらから許しなく話しかけるのさえ咎められやしないかというほどの相手なだけに、
「…。」
 急いでおりますのでと強硬に降り払う訳にもいかず。仕方がないので居住まいを正しての通過なさるのを待っておれば。

 「のう、そなた。ワシの部隊へ異動せぬか?」
 「はい?」

 今何か、理解不能なお言葉が飛んで来たような。

「そもそもはワシが部隊へとの念を押しておったというに、どういう手違いか人事の者が取り違えてのこの始末。遠征に出ておったこともあっての気づかぬままに放置しておったが、野にあったその間にそこまでの色艶を増したは思いがけない欣喜か幸い。今からでもよい、ワシの手元へ来ぬか? どうじゃ?」

 言い回しがどこか年寄りのそれに近いのは、そうか華族様だからそういう古めかしい言葉遣いなんだと、何だか見当違いなことへ納得を寄せてしまったのも。仰せの大半が何とも意味不明なお言いようだったから。いくら敷地の外れの方だとはいえ、特別会議室へと向かう道なりの廊下だから、誰の姿もない訳ではない。こちらの方向に寝起きする棟のある部隊だってあって、そこへの行き来にと通りかかった者もあり。だが、場に居合わせた顔触れと空気とに何かしらを感じてか、何だ何だと立ち止まる顔触れが増えつつあるのが、そのお言葉の意味合いも含めて、こちらには何とも居たたまれない。
「あの…。」
 何のお話かは判りませんが、わたくし今は急いでおりますのでと、一気に言って駆け出そうかと思った七郎次だったものの。礼儀をわきまえぬは主人の恥も同然と、勘兵衛へまで傷が及びはしなかろか。助けを求めるような心持ち、あたりをそぉっと見回すと、自分を導いて来た使者の姿がそういえば、

 “あれ?”

 いつの間にやら何処にも見えない。自分よりもずんと年下の、此処で礼法を学んででもいるらしき、幼年学校生のようだったから。ややこしいお人に関わり合うのはごめんだと尻込みされて、あと少しだから自分でおゆきなさいということで見切られてしまったか。いやいや、会議室から差し向けられた使者である以上、そんな中途半端なお使いがあるものか。も少し冷静な頭であれば、ここで“はは〜ん”と何事かが見えても来ただろが、
“え? え? え?”
 勘兵衛様の危急へ呼ばれし最中という焦燥やら動転もあろう身では、見えてること以上のところまで想いが及ぶべくもなく。何が何やらとただ立ち尽くすばかりな、まだまだ青い新米下士官ただ一人。気がつけば、取り巻きとやらの二人ほど、意を合わせての進み出ており、捕まえての間近まで引き寄せようと思うてか、その手を延ばして来たその間合いへと。

  「七郎次、何をしておるか。」

 端と投げられた声ひとつ。それがその場の淀みかけていた空気をとんと叩いて、まるでいきなり陽がさしたかのように、見る見るうちにという鮮やかさで活性化してくれて。さほどの大声でもなければ、何かしらを咎めたり伺ったりするような気配もない、言葉づらそのままな、何でもない声掛けであったのだけれど。
「…勘兵衛様。」
 はっとしてお顔を上げた副官殿が見やった先から、真っ直ぐこちらへ。軍靴の堅い響きも心地いいまでにカツカツと、それは颯爽と歩んでおいでの精悍な存在感には、
「…っ。」
 その前へ進みいでかかっていた連中はもとより、真横を素通りしたことで“視野にも入らじ”という扱いを受けた格好の、左京の誰某までもが軽くあしらわれてしまっており。
「このようなところでいかがした。」
「いえあの、査問会のほうへこれを持ってお越しをと…。」
 机の上にありました大封筒を持参しましたと、懐ろに抱えていたそれを示して見せたところが、
「?」
 怪訝そうに眉を寄せての受け取って、中を覗いてますますのこと、そのお顔を顰めてしまわれる。そんな二人へ向けて、

 「島田。」

 何とも不遜な声がかけられて。途轍もない大上段からの物言いだと、今度こそは気づいた七郎次が弾かれたよに顔を上げたが、そんな副官と間近で向かい合っていた、当のご本人はといえば、

  ―― くすん、と。

 何が可笑しいものなのか、蓬髪の陰にて口許をそれと判るほどまでほころばせてから、血気盛んな自身の供連れへは“大人しゅうしておれ”との目配せを送り、
「おおこれは、左京の准将殿ではございませぬか。」
 本名のお名前は口にしてはいけないという不文律でもあるものか、そういうことには故意に疎くなるはずな勘兵衛までもがそうと呼ぶ。こちらへはくるりとその大きな背中を向けた彼なれば、どのようなお顔をしているのか、七郎次にはあいにくと判らなくなってしまったものの。大仰が過ぎて芝居がかって聞こえるほどに、そりゃあ丁寧な言い回しをする勘兵衛であり、
「確か先日まで、北見の陣での視察の任についておいで。遠方にての永のお務め、ご苦労様でございましたな。」
 特にへつらうような言いようではなかったが、
“北見の陣?”
 確か此処への様々な物資を補給するための町のことであり。さっき口にした遠征とはそのことかと合点もいったが、だがしかし。軍用の空挺を使わずとも、1日あれば往復出来よう近場のはずとは、此処へは新任の七郎次でさえ既に知っていること。よってか、居合わせた格好のほかの顔触れが、こそりと苦笑を漏らしてもおり。だが、ご本人はそんな気配が拾えるような繊細さは持ち合わせてないらしい。それが証拠に、
「お主がおるなら話は早いわ。」
 勘兵衛が現れたのは思わぬ流れであったろに、ふんと鼻白んだそのままの居丈高に、横へとたっぷりとしたその巨躯を揺すぶって見せたのみ。その態度から、あっと別な何かが七郎次の中で弾ける。そういえば、何かにつけて御主へ難題や意味のない配置を押し付ける上司の司令官がいるが、あの少将もまた、確かこの酒樽准将の取り巻きではなかったか。自分よりも階級は下の相手だってのに、実家の力関係から鼻面引き回されているらしいとは、同じ部隊の征樹殿がこそりと話してくれた裏事情であり。こっちはもっと後から聞いた話、何でもこのお華族様、勘兵衛とは同期にあたり、だってのに配置先近くの色街では、ことごとく…その地の太夫や天神たちの人気を勘兵衛に浚われていたこと、そりゃあ執拗に恨んでいたのだとか。
『…何しに前線へ来てたんでしょうか。』
 素朴な疑問をつい零した七郎次へ、島田隊の双璧お二人が“さもありなん”と苦笑なさったのをいつまでも覚えている。そんな評しか持たぬ困った准将様、勾玉のような形の細い目をなお細めると、こちらを顎で示しての口へと上らせたのが、

 「のう島田。そこな新兵、ワシへと譲らぬか。」

 なに、戦地へも出さずの色子として可愛がってやろうから、決して傷がつこう恐れもなし。誰彼かまわずという奔放だけは許されぬ身となるが、望むなら階級もそれなり与えよう。少なくともお主の傍らにいるよりも、楽しておれよう破格の待遇じゃ。
「どこの誰ぞに手をつけられたかは知らぬが、此の際は大目に見ようから。」
「…っ。」
 勘兵衛が現れたことで落ち着いた分、今度は俄然よく回るようになった頭が、何をどう言って言われているものかを七郎次へも克明に伝えての把握させる。つまり、この…軍人としての能力は無いも同然の華族様の御曹司殿。七郎次のことを自分の傍らへと侍らす色子に欲しいと仰せであり。しかもしかも、先程のお言いようもついでに持ってくるならば、そもそもは最初からそう運ぶ段取りになっていたらしいのに、何がどう間違えての現状なのやら。多少は磨かれたらしいのを幸いと勘定してやろうから、当初の予定どおりこっちへおいでと…。
「く…っ。」
 もしもここに愛用の槍を持っておれば、抜き打ちで繰り出した切っ先、その太っとい胴へと食い込ませていただろう。少なくはない衆目の集まりし中にての、この物言いと扱いと来て。公然と色子扱いを受けた自分だけならまだしも、もしやして手を出したのではと婉曲に言われた格好で、勘兵衛までもがいいように辱められたも同然なのではなかろうか。才が届かぬ俊英に対する“妬み”からの嫌がらせというものにも遭ってのこと、多少は打たれる辛さも呑んで、我慢強さも増したけど。自分への嘲弄には堪えられても、御主への侮辱は許せない。堅く握った拳がそのまま、耐え兼ねてぐしゃりと潰れかねないほどに。憤怒を噛みしめ、ただただ耐えていた若き副官殿だったのだが、

 「それは…少々遅うございましたな、左京の君。」

 自分の前へと衝立のように立ち塞がった、大きな頼もしい背中の持ち主は。さしたる感情も込めぬままの飄々と、まるでお天気の話でもしているかのようにそうと切り出して。
「何が、遅いと?」
「ですから。この者は既に、契りを交わした相手がおりますゆえ。」

  ―― はい?

 こんな明るい昼間の公道、もとえ、官舎のお廊下で。色子がどうのという破廉恥な話をおっ始めた誰かさんも誰かさんならば、
「その道へもご理解と嗜みのお深い左京の君なれば御存知でしょう? 衆道の契りは後にも先にもただ一人としか結べぬ、と。」
 ともすれば、子が出来ることが死別や心変わりへの慰めや代償にもなろう、はたまた家と家とをつなぐ単なる儀式にもされよう男女の契りより。同じおのこという身同士にての、意気地への理解や信頼は深けれど、子も成せずの儚くも切なるつながりであればこそ、崇高にして忽
(ゆるが)せにしてはならない、いわば掟のようなもの。
「それをこそ守りし潔白や清廉もまた、絆の深さをあらわすと。」
 まさか御存知ないはずはなかろうにと。そりゃあはきはきとした口調にて、もっと上ゆくかも知れぬ、はしたない話題を滔々と持ち出した御仁へは、
「か、勘兵衛様?」
 妙に静まり返った周囲同様、七郎次もまた あんぐりと開いたお口が塞がらない。そりゃあまあ、常に品行方正であれというよなお堅いお方ではなかったし、部下らが脱線して艶っぽい武勇伝自慢を始めても、さほどに眉を顰めるようなことはなかった御仁。それでも…それなりの慎みというか、秘してこその奥行きの深さというか。奥ゆかしさの美徳というもの、ちゃんと心得ておいでのお人だったはずなのに? それに、

 “契りを交わした相手って…。////////”

 そこへと想いが至って、あらためての真っ赤になった七郎次の、二の腕を掴んで自分の前へと引っ張り出すと、

 「これこの通り、そのことを口にするのもまだ恥ずかしい、
  まだまだ初心な年頃の身であるがゆえ、
  はっきり申さぬことで左京の君へと恥をかかせていることにも気がつけない。
  とんだ不調法者で、当方もほとほと困っております次第。」

 はぁあとわざとらしい吐息をつかれての、何ともつれないお言いように、
「…っ。////////」
 ついのこととて総身が震えた。大人同士の物慣れた身であれば、こんな話題もただの茶話かもしれないが、こちらは言われたその通り、まだまだ不慣れで初心な身で。他のことへは頼もしいまでの度胸も結構ついたはずだが、そちらの話へは隠しようのない感度ですぐさまの反応が出てしまうほど晩生
(おくて)な七郎次であり。しかもしかも、言われのない空言でないだけ余計に、羞恥で震える総身の血潮がすべて泡立ちそうになる。周囲に集まった者らからの衆目が痛くて、こんなにも恥ずかしい想いをしたことはないとまで感じたものの、


 「よって、此の者。
  その相手である私めを失なわぬ限り、何処のどなたへもなびきは致しませぬ。」

  ――― え?


 その身が凍ったのは七郎次だけにはあらずの微妙な沈黙が場を覆い、窓の外、青葉が風に遊ばれてざわめく声が妙に大きく波打って。ざん…っというどよもしが、窓越しのこちら側まで寄せては返したその静謐を。一体どう解釈した彼であったのやら。
「それでは御免。」
 いっそのこと爽やかと形容してもいいほどの笑みを浮かべての快活に、まだ身が強ばっていたお連れの副官をひょいと軽々、肩の上へと抱えると。何事もなかったかのようにすたすたと、いやさ、颯爽と、立ち去ってしまわれた勘兵衛様であり。
「………なっ。////////」
 これって一体どういうことですか、どういう覚悟があってのあんなあからさまな物言いをなさったのですか、恥をかくのは私だけでよかったものを、あれでは勘兵衛様までがあの酒樽准将ととっつかっつな色好みと思われてしまうではありませぬか…と。言いたいことは一杯あった七郎次がそのうちの1つでも言い出すより前にと機先を制してのこと、

 「種明かしはしてやろうから。今は大人しくしておれ。」

 後方へと置き去られた人々へは届かなかったであろうトーンの、だが、存外 生真面目そうなお声が返って来たものだから。
「〜〜〜っ。////////
 結局は黙ってしまうしかない副官殿であったりしたのであった。





        ◇



 先程ご当人が語ったように、遠征とやらでずっと不在であったため。新米隊士である七郎次は直接には逢ったこともなかったが。あれこそはこの方面支部においても悪名高き、困った性癖をした華族出の准将殿。親御という後ろ盾の顔を利かせて駆け上がったとされているとはいえ、階級が階級だからということで、一応の頭数だけ副官と数人の士官が付いてはいるが。部隊自体はほとんど機能しておらずの、居残り留守番役。ウチの双璧の良親殿のお言いようを借りれば、
『あんな奴を戦域に出したら、こっちの邪魔、いやさ命取りにだってなりかねぬわ』
 だそうで。それを正確に理解して恥じ入る頭もないらしい色ボケ親父が、実は…七郎次へも、研修途中でその風貌へと目をつけたらしく。
「そんな…。」
 執務室へ戻って早々、まずは茶を淹れてくれぬかと所望された七郎次のその手元が、思わぬ話の流れへ大きく乱れ、急須の蓋を取り落としてしまったほど。そんな言語道断なことと憤慨するのも無理からぬ話で、
「まあ落ち着け。」
 何とか宥めた勘兵衛様が話を続ける。さすがに もはやそんな方向での好き勝手を許しておれる戦況でもなくなりつつあり。露骨な人事への手出しを見かねてのこと、内部査察部も秘密裏に動き始めてのざわめきを、それとなく察した雲の上の好々爺、もとえ、上級将校のどなたかが。そんな詰まらぬことへ、新品まっさらの有能な候補生を巻き込んでは可哀想だと、懇意にしていた誰かさんに“何とかしてやってはくれぬか”との白羽の矢を立てたのがコトの始まり。支部内でのみっともない刃傷沙汰でも起きても何だからと、実際の対処を引き受けた勘兵衛様。とりあえずの策として、
『実はこの者、もはや契りを結んだ相手がおりまして。それで、お眸をかけていただきましても、頷首できませなんだのでしょう。こういったことは粋な約束事を守ってこそ成立する美学でもございまし、どうかご容赦下さいますように。』
 白々しくも言ってのける格好で、護ってやった…というのが顛末で。約束通りに全てをお聞かせいただいての、だが、

 「そんな段取りになっていると、
  どうして前以て私にも話しておいて下さらなかったのですか。///////」

 どれもこれも策のうちというのは判ったが。それらを一切知らぬまま、衆目の中でああまで恥ずかしい想いをさせられたと、美貌の副官殿が憤慨すれば、
「そうは言うが、ただの口先やり取りであれ、上手く立ち回れたのか? お主。」
 それこそ、あの程度の揶揄ごときで、ああまで真っ赤になっての言葉に詰まっておったくせにと。苦笑混じりに諭された勘兵衛様であり、嫋やかな見かけと裏腹、とんでもない跳ねっ返りで負けん気も強い誰かさん。慣れのない話はこびには、たとい入念な口裏合わせがしてあっても、相手も老獪な策士であるがゆえ、結句、ボロを出しての追い詰められて、揚げ句に無理から手込めにだってされかねなかったと見越しておられ、
「しかも。そこからの抵抗で、相手を手にかけかねぬほどのお転婆であろうが。」
「〜〜〜。///////」
 確かに、頭に血が昇るとまだまだ暴れ性は押さえ切れないのは否めない…とは、自分の青さだと重々承知の七郎次。現にこのところ、戦さ場でも落ちつけの頭を冷やせのと、しきりと勘兵衛からの声がかかってもおり。そして、そんな事情での刃傷沙汰なんぞが持ち上がれば、本人への厳罰に止まらず、直接の上司である勘兵衛を始め、下手すりゃ実家へまで塁が及んだかも知れない一大事だという道理も判っているものだから、
「〜〜〜〜〜っ。」
 ぐうの音も出ぬ七郎次であり。

 「それよりも。」

 衆人環視の下、大きな声での恥を1回かいとけば。既に誰かの所有
(もの)であるということが公けの事実、すなわち ある意味で公認も同然の身ともなる。
「実際に見ていて判っただろうが。軍歴上の恥は何とも思わぬものが、色事での恥には過敏。物事の道理の優先順位が儂らとは異なる人種でおいでだからの。」
 これまでの間、ああまで露骨な手を出して来なかったのも、准将本人が居なかったという事情のみならず、自分がわざわざ動いてまでの所望というのが明らかになるのが、物欲しそうで外聞が悪いと気にしてのことだったに違いない。刀を抜いたこともなかろう腰抜けであることには恥じずとも、色事の上での粋とか洒落だとか、よくよく知っているぞよと嘯
(うそぶ)いて憚らぬ、それこそが得意分野でもあるよな男。よって、
「ああまで明からさまに情人がいるとされた存在へ、うっかり手を出し“間男”と陰で言われる不名誉を甘受するほど、そっちの筋でも大うつけということはなかろうよ。」
 そうと結んで肩をすくめた勘兵衛であり。片や、

 “…それで。”

 言われてみれば…と思い当たることが、七郎次の脳裏にも今頃になって幾つか浮かぶ。あの男の取り巻きの中にいた顔触れの中の幾たりかから、独りでいるときに廊下で鉢合わせるたび、二の腕掴んでまでウチの部隊へ来ぬかと執拗に誘いをかけられたことがある。勘兵衛への讒言や罵倒句を聞かされたり。どうかすると、自分の胸算段次第で地位をやることも出来れば凋落させも出来るのだと、お前の生意気さで島田が憂き目を見てもいいのかと、そのような言われようさえしたことがあり。だが、自分を目当てのこととは思わず、手柄で歯が立たぬ勘兵衛への意趣返し、せいぜいが間諜
(イヌ)になって掻き回せとでも言いたいかと思い込んでいたのだが。
“そういえば…。”
 その時どきに向けられた目付きが何とも粘着質であったりし、掴まれた腕へじわり伝わる生ぬるい熱が、いつまでも居残って気色の悪いものだったことを…。
“うあ〜〜〜っ。”
 今になって合点がいっての慄いている鈍感さよ。そんな当事者の胸中は、だが、いかんせん語ってくれねば判らない。既に勘兵衛様のものと所有の決まったこの身、そんな穢れにまみれずに良かったと、ほっと安堵をしていた傍らで、
「これでも懲りずの業を煮やして、過激な手に打って出て来れば。それこそ風紀軍規を犯した科
(とが)で引っ括ってやれもしようから。」
 そりゃもう“してやったり”とはこういうお顔かと重々知らしめるような、それはそれは晴れ晴れとしたお顔になった御主へは、
“策謀が首尾よく運んでこういうお顔になるお人って…。”
 あんまり“善人”とは言えないような、と。無事に美味しく淹れられたお茶を出しつつ、どこか複雑そうにしみじみ思った七郎次だったが、
「…ちょっと待って下さいませ。過激な手ってどんな手ですか?」
 今頃になって聞き捨てならぬと確かめるように訊き返せば、
「ああそれか。まあ…そうさな、任務と偽って呼び出しをかけての、儂への闇討ちを仕掛けるとか。」
「そ…そんなっ。」
 笑っている場合ではないではありませぬかと、息巻いた副官殿。そんな無謀も図れる手合いと今なら判る。七郎次が使者に言われて持って来いとされた封筒も、勘兵衛には覚えのない別の部隊の日程表だの古い地図だのが入れられた意味のない代物であり、査問会とやら自体が架空の段取り。旧の官舎へ呼び出され、ありもしない会議室とやらを一通り探す義理を押しつけられて、ははぁ、とうとう動き出したかと察知したくらいだったとのお話で。

 「まあ安心いたせ。
  儂をどうこうしようというなら、それ相応の練達を手下にせねばなるまいが、
  そんな下らぬ策謀に加担していいと思わせるほど、人望がある奴ではなし。
  搦め手を使おうにも、
  儂の階級はずんと低いからこれ以上の降格は無理というもの。
  使い勝手がいいからか、
  隊長職を解くのはさすがに他のお歴々が黙ってはおらぬだろうし。」
 「ですが…。」
 「お主を傷物にしては何にもならぬから、
  そなたへのそういう方向での手出しはなかろうしの。」
 「そういうことを申したいのではなくて…っ。」

 案じて差し上げるのが何だか馬鹿馬鹿しくなってしまったか、終まいには声を荒げた副官殿で。おや、またぞろ叱られておわすかと、部屋の前を通りすがった者が、いつものこととて ついつい苦笑をした昼下がりであったとか。





 そしてその数日後。件の准将殿が、色街にてかつて馴染みだった色子の一人に刺されて重傷を負ったとの噂が、秘密裡に、だが嵐のような勢いで支部の中を駆け巡った。取り押さえられた青年は、やはりかつては軍にいた元・下士官で。郷里の親御へ辱めの写真を届けられたくなくばという枷をはめての、様々に屈辱的な扱いを受けさせたのち、飽きるとそのまま色街の顔役のところへと下げ渡されてしまったのだとか。そのまま軍へと据え置けば、自身の悪事の数々が暴露されんと恐れたあたり、何をすれば恥知らずがと非難されよう道理というもの、最低限のそれだけは一応分かっておったらしいところが尚のこと憎らしい人非人であり。こたびの刃傷沙汰に於いては、逆恨みされたの昔の恩を忘れおってのどうのと言いたい放題をしたらしかったが、
『それにしては、彼の側には防御のための傷が多いのに、そこもとにはその一撃の深手しかないのが解せぬ話よの。』
 本当の真実は、またぞろ手ひどい折檻まがいの扱いをし、それに耐え兼ねた彼が思い切って手を出しての弾き飛ばした得物。扱いの下手な主人へと跳ね返ったまでのことではないのかなと、他の素人ならともかくも、刀にかけては専門家の我らへの下手な繕いは通じぬと、すっぱり言い放ったのが上つ方から派遣されたる内部監査係の諮問官の方々であり。彼らをすみやかに派遣したのが、勘兵衛へも片棒担がせたそもそもの依頼主でもあったという、どこぞかの大将閣下とやらだとか。こんな格好でのあっけない幕引きとなったは意外だったが、それさえ予測のうちとして周到に準備があった辺りは、抜け目のない御仁だと、どこかしょっぱそうなお顔をなさった勘兵衛様、

 「いつか埋め合わせをする“借り”とさせてくれと言われたがの。」

 力関係に縛られて抵抗出来ぬ者らがいるを、見て見ぬ振りが出来ぬと思われてのこと。こたびの謀議の主幹となられ、様々な階層へ手を配られたくらいで、悪いお人ではないのだが。人が悪いことこの上もないタヌキであらせられるのでと、結構辛辣な言いようをなさった御主。
「そのようなお人への“貸し”は、大きすぎてのともすれば“借り”と同じことになりかねぬからの。」
 忘れるなという格好で縛られての後腐れとなっては困るので、早いうちに宴でも開いてその酒代を払ってもらうと、楽しげに笑っておいでの勘兵衛様へ、同様に胸がすいた七郎次であったのだけれども…。

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